【トップチーム創設30周年企画】守屋実の未来への言霊(第12回)

コラム&企画

FC町田ゼルビアは今年、トップチーム創設30周年を迎えました。
本コーナーではクラブ創設者の一人である守屋実相談役に、これまでの歴史を振り返ってもらいます。
どんな想いでこのクラブが作られ、市民クラブとしてどう成長し、Jリーグクラブとなり得たのか。
生き字引と言える守屋相談役からの“言霊”を心に刻み、今後の50周年、100周年につなげたいと思います。
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【第12回 戸塚哲也監督招へいで悲願のJFL昇格】


 2008年1月から運営会社も株式会社化を果たし、新たなスタートを切ったゼルビアは、現場を率いるトップとして、戸塚哲也氏を新監督に迎えました。戸塚新監督はクラブ史上初めてとなるプロ契約の監督でした。06年はFC岐阜を、07年はFC Mi-OびわこKusatsu(現・MIOびわこ滋賀)をJFL昇格へと導いた戸塚新監督は、2年連続で地域リーグのクラブをJFLへ昇格させているため、まさに全国地域リーグ決勝大会の勝ち方を知っている監督。3連戦を強いられる同大会は、うまさだけでは勝てない大会でもあるため、全体的に走るトレーニングが多かった印象です。

 そして2年連続関東リーグ1部優勝という実績を引っ提げて、臨んだ全国地域決勝大会。鳥取での第一次ラウンドは、決勝リーグ進出をかけた最終戦で奇跡の同点劇からPK戦勝利を掴み取り、決勝リーグへと進みました。さらに石垣島での最終決戦でゼルビアはPK戦勝利を含む3連勝で全国地域決勝大会優勝を成し遂げ、09年からのJFL昇格を勝ち取りました。

 当時の酒井良が「負ける気がしない」と話すほど、選手たちも自信を持っていましたが、その自信が結果につながったのです。07年に味わった地域決勝大会での“挫折”が1つのきっかけとなって、運営会社を株式会社へ移行するクラブ改革を断行し、その決断が結果的にJFL昇格へと結実しました。私個人の思いとしては、組織改革が間違っていなかったことを実感できたのと同時に、安堵する自分もいました。そして、JFL昇格を決めたゼルビアに朗報が舞い込みます。

 町田市が町田市立陸上競技場の改修を決め、行政の支援を得られたことで09年2月、ゼルビアがJリーグ準加盟クラブとして承認されたのです。プロリーグ入りへ。また一歩、夢の実現に近づくこととなりました。

 今改めて振り返ると、01年のチーム解散の危機を経て、08年の株式会社化とJFL昇格も、ゼルビアにとって、1つの大きなターニングポイントとなりました。こうして町田市民が創り、ジュニア年代のチームから1つずつカテゴリーを積み上げてきたクラブが、プロリーグ入りを現実のものとして捉えようとしていました。

 ところが、これまで話してきたように、何度も“挫折”を乗り越えてきたクラブに、“サッカーの神様”は、三度目の試練を与えました。JFL参入2年目の2010年、JFL・3位で成績面における参入条件を満たし、Jリーグ参入が目の前まで迫っていたゼルビアに何が起きたのか。次回は2010年のJリーグ参入断念について、お話ししていきたいと思います。

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