【トップチーム創設30周年企画】守屋実の未来への言霊(第11回)

メディア

FC町田ゼルビアは今年、トップチーム創設30周年を迎えました。
本コーナーではクラブ創設者の一人である守屋実相談役に、これまでの歴史を振り返ってもらいます。
どんな想いでこのクラブが作られ、市民クラブとしてどう成長し、Jリーグクラブとなり得たのか。
生き字引と言える守屋相談役からの“言霊”を心に刻み、今後の50周年、100周年につなげたいと思います。
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【第11回 運営会社の株式会社化で加速したクラブ改革】


 初挑戦となった関東リーグ2部初年度の2006年は、まさに“ゼルビア旋風”が吹き荒れました。経験値が高い選手として、チーム作りをする上でなくてはならない存在になるだろうと、自ら口説き落としてチームに加えた津田和樹や谷川烈が2年目を迎え、チームも少しずつ成熟したことで06年は「神がかり的に強い」チームでした。負ける気はしませんでしたし、津田と酒井良がアシスト王に輝き、1年での関東リーグ2部優勝を果たしました。この年のシーズンオフには髙杉亮太がJ2の愛媛FCへ移籍し、クラブ史上初となるJリーグクラブへの移籍選手を輩出することになりました。
 
 そして翌年の07年は初挑戦となる関東リーグ1部で初優勝を成し遂げ、シーズンの終盤には意気揚々と全国地域リーグ決勝大会第一次ラウンドに臨みました。しかし、竹中穣加入の04年以降、徐々にチーム改革を進めてきたゼルビアが、一つの大きな壁に直面しました。

 07年の全国地域リーグ決勝大会の第一次ラウンド・初戦のバンディオンセ神戸戦は、開始早々の4分に失点を喫すると、この1点のビハインドをはね返せず敗戦。事実上、JFL昇格への道が閉ざされることになりました。敗戦を喫したその日の夜、(株)イーグル建創・下川浩之氏(現・株式会社ゼルビア代表取締役会長)や有限会社志村 フェローズの志村昌洋氏ら、スポンサー関係者と酒席を持った私は「今のままでは上には行けませんよ」と告げられました。

 現場という意味では、指導者としての経験が不足している私がこのまま監督を続けることにも限界があるだろうと考えていましたし、プロクラブとしてより上を目指すためにも、運営会社の株式会社化は避けられないだろうと思い始めていた矢先のことでした。
 
 そう思う一方でゼルビアは町田サッカー協会が創り、地域の方々の思いを背負って、大きくなってきたクラブですから、株式会社化をすることで、設立の理念やこれまでの歴史が覆されてしまうのではないか、という懸念も拭えませんでした。夢の実現のためにも、クラブを前進させたいという思いと、劇的な変化によって失うものがあるかもしれないという恐怖心にも似た思いの狭間で葛藤していた時、重田貞夫先生の言葉が私の背中を押したのです。

「地域やクラブを本当に愛する人が、このクラブを育てていくようにしないとね」

 こうして私は株式会社化される運営会社を下川氏に依頼しました。その際には「このクラブは特定の個人のものではありません。町田の地域のクラブなんです」と念を押し、下川氏も私のオファーを快諾してくださいました。そして株式会社化に向けた準備委員会を設立し、その代表を務めていた下川氏が運営会社の社長へと移行する形で代表取締役社長に就任しました。

 08年1月。『株式会社ゼルビア』が誕生し、悲願のJリーグ入会へ、クラブとして一歩前進を果たしました。一方、現場の方は「もっと上の景色を見た人に監督は託した方が良い」と、私は07年限りで監督を退きました。08年はクラブ史上初となるプロ監督、戸塚哲也氏を招へいすることになりましたが、次回はJFL昇格までの道のりをお話ししていきたいと思います。

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