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【トップチーム創設30周年企画】守屋実の未来への言霊(第6回)

コラム&企画

FC町田ゼルビアは今年、トップチーム創設30周年を迎えました。
本コーナーではクラブ創設者の一人である守屋実相談役に、これまでの歴史を振り返ってもらいます。
どんな想いでこのクラブが作られ、市民クラブとしてどう成長し、Jリーグクラブとなり得たのか。
生き字引と言える守屋相談役からの“言霊”を心に刻み、今後の50周年、100周年につなげたいと思います。
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【第6回 全日空の誘致活動、挫折、そして新たな展開へ】

クラブのルーツでもあるFC町田が、1991年から東京都社会人リーグ4部に参戦し、一つひとつ所属カテゴリーを上げていく中で、足掛け7年。98年から東京都リーグ1部へ参戦する権利を得ることができました。こうしてユース出身選手が続々と加わる形でチーム強化が次第に進んでいったFC町田が、将来的にプロサッカークラブを目指すようになったのは、92年の全日空の町田誘致断念が出発点となっています。

93年のJリーグ開幕前、町田市には、のちの横浜フリューゲルスとなる全日空を母体にしたプロサッカークラブを誘致する話が舞い込んできました。そこで町田青年会議所を中心として、「町田にプロサッカークラブを誘致する会」が発足。「誘致する会」の企画書の表紙に記されたキャッチフレーズは「めざせ、熱き36万人のキックオフ」でした。定期的に催された「誘致する会」は、町田市内の会議室に約50人ほどが集合し、侃侃諤諤とした議論が展開されていました。

実はその一方で「誘致する会」は全日空だけではなく、川崎フロンターレの前身である富士通にもアプローチし、実際に同社のNo.2とも言える人物にも接触していました。こうしていつしか町田市にJリーグクラブ誕生を願った市民の熱意は、8万人にも及ぶ署名を集めるまでに膨れ上がったのです。

しかし、周知のように、全日空は横浜市をホームタウンとする横浜フリューゲルスとなり、町田のJリーグ誘致は頓挫してしまいました。重田貞夫先生や私をはじめ、「誘致する会」の関係者は大きな失望感を隠せませんでした。それでも、せっかく膨れ上がった町田市民の熱意を思うと、このまま引き下がるわけにはいきませんでした。

「誘致する会」は一度の挫折に屈することなく、われわれ関係者は、別の形で活動を継続することで、町田にプロサッカークラブを創ろうという市民の夢を実現させようと知恵を絞ってきました。こうして町田市民の夢は、のちにFC町田のトップチームに託される形となるのですが、その第一歩とも言える活動が、「サッカーフェスティバル IN MACHIDA」の開催です。

次回は町田にプロサッカークラブを創ろうとする町田市民の熱意を絶やさぬよう、93年から開催を始めた「サッカーフェスティバル IN MACHIDA」について、お話ししていきたいと思います。

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